大人の階段

 

 


■ 大人の階段 2004/10/24(Sun)



春の海は穏やかで 澄んでいます。まるで 君みたいですね     



 


彼の綺麗な文字が目に飛び込んできた。



海の青が鮮やかな一枚のポストカードの下に書かれていた。



そこには、船の上で数人の白い制服を着た学生の真ん中で凛々しく微笑む彼が写っていた。



航海に出ている山川先輩からだった。




山川先輩とは、近所に住んでいる母と仲好しのおばさまのひとり息子 祐樹さんの


パートナーとして参加した某大学のダンスパーティーの時に出逢った。






目が綺麗でスラリと伸びた長い足に大学の制服がとっても似合う人だった。



そんな山川先輩と出会ってから 何度か手紙のやりとりが続いた。



毎日勉強に忙しい彼となかなか再会できなかったが、やっとデートできる日がやってきた。




待ちに待った4月最後の日曜日。


銀座の三愛ビル前で待ち合わせをした。




私はお気に入りの淡いピンクのワンピースを着て出かけた。




少し遠くから 早足で歩いてくる彼を発見したのは約束の時間の10分前だった。



「やぁ。待たせちゃったかな?ごめんごめん」



まるで少女漫画に出てくるようなセリフと白い歯が眩しかった。




それから私たちは銀座通りを歩き出した。


銀座4丁目の端まで歩いては戻り、また端っこまで歩き、何回も往復しながら話し続けた。



爽やかな彼は冗談を言うタイプではない雰囲気なのだが、彼の話はとても面白くて1秒も飽きる事がなく 時間が過ぎていった。




山川先輩に ずっと憧れの気持ちを抱いていた私にとって 夢のような時間だった。



オシャベリしながら歩き続け あっという間に日が暮れた。



「疲れない?おなかすいたでしょ?そろそろ食事でもしようか」



彼はそう言うと レストランを探し始めた。



私は彼と一緒に歩いている事が楽しくて全く疲れてはいなかったが、腕時計を見ると、もう夕方6時を回っていたので 道沿いのビルの2階にあるレストランに入った。




「まずはワインで乾杯しよう」




注文した白いワインがテーブルに置かれた。



乾杯しようと グラスを持ち上げた時に彼が 私を見て 微笑みながら



「ね、このワインの中に 君には 何が見えてる?


僕 には、君の綺麗な瞳が見えてるよ・・・」



そう言うと彼は まだ 続けた。




「もしも今、停電になったとしてもグラスに映る君の顔を僕の目に焼き付けたから いつ電気が消えても平気だよ・・・


なーんてことをキザなやつなら 言ったりするんだよ。あはっはは」




おかしくはなかったが 私も 笑った。





乾杯をしたあと、メニューをしばらく見ていた彼は、




「何食べる?僕は、この なまむぎ焼き にしようかな」





ん・・・・・?!・・・???



なまむぎ????



生麦????





まさか・・「生姜焼き」のことでは・・・・・




何故か心臓がバクバクした。



この素敵な山川さんが、漢字を読めないでいる? 




冗談だろうか・・・




そう思った私は さりげなく聞こえなかった風に聞き流し




「え?どれにするの?」 と 聞いいてみた。





「僕は なまむぎ焼き にしてみるよ」




うぉ!!?また言った! 



なまむぎ焼き・・確かに また 言った!




「あ、しょうが焼き・・・に・・する・・の・・か・・なぁ・・」





私は、さり気なく彼に、生姜( しょうが)と読むと言う事を言ったつもりだったが、


私の声が小さすぎて聞こえなかったのか 彼は 知らん顔をしていた。





そして、私も同じ 「なまむぎ焼き」を頼んだ。




彼は右手を上げウエイターを呼ぶと、




「あ、これ、2つね」



と、彼はメニューを指差して注文していたので、すごくほっとした。





出てきた料理は 当然 「豚の生姜焼き」 だった・・・




そして、レストランを出た後、私達は また 銀座通りを歩き始めた。





しばらく歩いていると、彼は 私の背中をそっと押して左のわき道へ 誘導した。





銀座のメイン通りをそれた横の道には 店もなく、ひと気もなくて まったく違う別の世界へ迷い込んだ気さえした。





彼の歩調がだんだんとゆっくりになっていく・・・





私は 予感がしていた。






もしかして・・キスとかしようとしてこっちの暗い わき道に来たのだろうか・・と。






彼が 私の手首をつかんだ。





私は前に進めなくなり 歩調が止まった・・・





彼の身体ごと 道の端に追いやられた私は 建物の壁に押し付けられて身動きができなくなっていた。





私は下を向いたたまま、真っ赤になり固まってしまっていた。





自分の心臓の音がものすごい速さで連打しているのが聞こえた。







予感は当った・・・・







私の両腕を彼の手が捉えていた。





けれど 彼の両手が私の両腕をおさえている限り、私の顔はうつむいたままなわけなので キスは出来ない。





しかし次の一瞬、私の左腕を押さえ込んでいた彼の手の圧力が ふわっと消え彼の右手の指先が私のあごを持ち上げた。






唇が重なった・・・





大人の男の人の匂いがした。




シトラス系の淡いコロンの香りが 私を包み込んでいた。





そして春風のような キスをしながら、彼の右手が私の胸にすべり降りてきたとき、私はムカ~ッ!っとしたのだった。






初デートでキスした上に胸も触ろうなんて!


なんて欲張りなんだ!怒 怒 怒!!!




彼のその行為を



『私のことを大切に思っていない』



と思ってしまった。




そして1回目のデートは後味が悪く終わり、





その後、彼の欲張り度が 更に増した出来事が起こった。





銀座でのデートの数日後、山川先輩から電話がきた。



「今度の 航海では1年近く戻ってこれないんだ。その前に 君に会いたい。


お婆ちゃんちに泊まるとかって親には嘘を言って僕と一緒に泊まれないかな。」





まだ 精神的に大人になっていない私にとって




「僕と一緒に泊まれないかな」 は衝撃的な言葉だった。





手紙では何度もやり取りしていたとはいえ、実際に会ったのはダンスパーティーを入れて2度だけ。





「親に嘘を言って 泊まれないかな。」 という彼の言葉が、なんとも不誠実に聞こえた私は





「親にウソなんて言えないし、泊まるなんてこと出来ないです・・」





私はそう言うと、すぐに電話を切った。




受話器を置いた後も心臓のドキドキが止まらずに 私はその場に立ちすくんでいた。




そして、その夜 私は彼に 一通の手紙を書いた。





『先日のデートでは とっても楽しい時間を過ごす事ができました。ありがとうございました。


一緒に泊まれないかと あなたから電話をもらったとき 私は戸惑いました。


あなたにとって私は、まだ子供だと実感しました。


私には あなたがオトナすぎてついていけません。


あなたに似合う大人で素敵な彼女を見つけてくだい。』







その手紙を投函したと同時に憧れていた山川先輩への恋心は消えてしまったのだった。



そして、彼は 予定通り航海へ出かけ、海から 一通の 手紙が届いた。





内容は以下のようなことだった。





『君から嫌われるには、あの方法しかなかったんだ。


僕は君を好きだった。だから、こんな気持ちのままで航海にでるのでは辛すぎる。


だから僕と泊まれないか?なんて言ってしまった。


でもそういう風に言えば、純粋な君からは きっと さよならと言う言葉が出るだろうと思っていた。


嫌われるには、ああ言うしかなかったんだ。


いままで本当にありがとう。いい思い出にするよ』





2枚にわたって、私に嫌われようとしてあんなことを 言ったんだとか、あーだ こーだと 書いてあった。





後から、山川先輩の後輩の祐樹さんから聞いたのだが


山川先輩は海へ出る前に「 婚約者」を作りたいと、焦っていたらしいということだった。



一緒に泊まり、航海から戻ってきたら結婚の約束をしたかったのだと。



祐樹さんから聞いた話が 本当かどうかは わからなが、


結婚なんてまだまだぜんぜん考えてなかった私には、どっちみち無理な話だったけれど。




一瞬で火がつき 燃える恋もある。



でも 少しずつ育んでいく愛もある。





山川先輩との場合、恋だったのかもしれないけれど、私の気持ちが彼と同じ位置に 到達していないうちに、先に走って行かれると ついていけなくなるわけで・・・





今の私なら「親にウソついて泊まれない?」と彼に言われてもあれほどの嫌悪感は抱かなかったかもしれない。




まだまだ子供だった私を オトナの女と かいかぶった彼の失敗だったが、



風の便りで、航海後にすぐに結婚相手を見つけたということだった。




誰でもよかったんじゃん?!  (T∩T)





なまむぎ焼き の 思い出 忘れません。



ありがとう山川先輩 ・・・・・







「大人の階段 上がりそこねた 話」 ―完―